PlayGroundコースを修了してみて見える景色
こんにちは、先日から株式会社Shinonomeにインターンとして参加したKaitoです。今はモバイルコースの運営をしています。Shinonomeのメンバーとしての期間はまだ非常に短いですが、「PlayGroundという団体を知り、参加して、コースを修了して、PlayGroundを運営する立場のShinonomeに参加する」という過程を現在進行形で辿っている立場として「コースを修了する」ということについて、自己紹介も兼ねて記事を書こうと思います。
どのようにしてPlayGroundに参加したか?
僕はWILL(Waseda IT Leader Lab)経由でPlayGroundに2020年の11月頃に加入しました。TwitterにWILLのアカウントからDMが届き、説明会に参加しました。「教わった人が教える立場になる」、「教育機会の格差を無くす」など、プログラミング学習という自身の目的以上に、理念に共感できる部分が多かったので、PlayGroundに所属することにしました。なんとなく"モバイル"という響きがカッコよかったのでMobile(iOS)コースに所属することになります。
コース修了までの道のりは長い
コースを修了するのには根性がいる
プログラミングに関して完全に初学者だった僕は、コースを修了して振り返ってみると「修了するには中々根性がいるなぁ」と正直に思いました。加入した学生には週10時間の学習が求められますが「1日かけてもGit操作がうまくいかない」なんて事態が起こる訳です。10時間勉強しているという見かけだけの数字に反して、進捗が生まれていないという現状を眼前に、かなり落胆しました。実際に僕は何がなんだかわからなくて課題を提出する為のgit操作で課題を消す」ということを4回ほどやっています。
誰しもコース課題に取り組む中で、中々解決できない問題にぶつかることがあると思います。所謂沼にハマるということです。
時間をかけても進捗が生まれないことで中々辛いこともあるかと思いますが、そういった沼から抜け出せた時ほど、学ぶことが多いと、僕は思います。コース課題に取り組んでいる人はそういった経験から自身の知見を構築していってほしいです。僕はコース修了までの過程で、沼から抜け出した経験から以下のことを学習しました。
- 「無知の知」は質問への第一歩であること
- 質問の質を高めることが質問される側の成長にも繋がること
- 間違えることに寛容である文化が大事であること
「無知の知」は質問への第一歩である
コース途中の自分を振り返ってみると、漠然とした、滅茶苦茶な質問をしていることがありました。今でもPGritを見ていると「この人は何が知りたいんだろう?」という質問がたまに見られます。そういった質問が生まれる要因として第一に自分が何を理解していないかを理解していないということが挙げられると思います。「自分が何をわかっていないのか」をわかっていないので、質問しようにも、その核心を相手に示すことも出来ない。という訳です。
ここで導き出される行動は当然ながら
「自分が何を理解していないか」を理解する
ということになります。質問したい事項に対して、自分がどこまで理解しているのかを把握することでモヤモヤした思考を整理して、質問の中で本当に知りたいことを回答者に提示することができます。それを整理する段階で、調べるべき点が明らかになって自己解決できる、なんてことも往々にしてあるはずです。
難しいのは、質問の前提としてこの作業がある訳ですが、決して簡単な作業でもないという点です。理解していないことを整理するのにも結局それなりの知識が必要だからです。ただ、次に述べるように上手な質問をできるようになるというのもコース修了者に求められることです。まずは根気強く、自分が理解している範囲を明確にすることから始めてみては如何でしょうか。
質問の質を高めることが質問される側の成長にも繋がる
コースを修了するまでに質問する機会は幾多とあると思います。そうなると、取り組んでいる人達には質問の質を高めていくことも求められます。良い質問はなんぞやというのは、同じくPlayGround Wikiに載っているのでそちらを参照して頂きたいですが、翻って(言葉を選ばずに言えば)良くない質問は想像に難くないと思います。「課題の提出の仕方がわからないんですが、どうすれば良いですか?」、「Xcodeでエラーが取れません、何かヒントを頂けますか?」など…端的に言えば投げやりな質問です。
質問に載せる情報量を最大限多くする
自分が知りたいことに対して、経緯・問題点・調べたこと・考えられる原因などを記載することで、回答者も回答することが容易になると思います。質問の質が高まると、回答者側も相手に提示するべき情報を判断しやすくなります。回答者も調べるべき範囲が狭まる分、深い理解に繋がるという訳です。
実際、コース課題に取り組んでいくだけでは理解しきれない部分は、レビューだったり、質問に回答することで理解が深まります。常に質問者であり、回答者であるという意識はPlayGroundで学んでいく上で持っておきたいですね。
間違えることに寛容である文化が大事であること
コースに加入したばかりの僕は、いまいちプログラミングの勉強法がわかっていませんでした。それまでの勉強は受験など、インプットが中心ですし、大学1年生の全能感に包まれて「間違えることは良くない」と思っていた節があります。
PlayGroundに入ると、インプットではなくアウトプットを中心とした勉強に取り組んでいきます。即ち、何か間違えることが前提になります。当たり前と思われるかもしれませんが、個人的には、この点はかなり重要だと思っています。
第一に、コースの定例会で質問をした際にも「そのミスあるあるだよね」などと声をかけてもらうことで、間違えることへの抵抗がなくなりました。こういった文化はコミュニティの基盤となって、当然のものとして考えられていますが、改めて間違えることに寛容であり続けたいと思った瞬間でした。PlayGroundというコミュニティには、わからないことを笑う人などはいないので、コースに入ったばかりの人などは、厭わずにどんどん質問をしていってほしいです。
間違えた際には質問をする訳ですが、僕自身コースに取り組んでいく中で、質問に対して、明確な答えが返ってこないことがありました。当時は「なんで答えを教えてくれないのか!」と思いましたが、振り返るとそういった回答はどれも解決への道を提示していたものでした。「ここをこうすればいいよ」ではなく「ここを調べてみようね」などと、自分で解決するためのヒントを提示する回答をしてもらえたことで、自分で調べる時間が生まれたと思います。結果的にそういった作業で理解が深まったことが多いです。
コース修了してみて
コースを修了しましたが、正直まだまだわからないことだらけです。今ではそれで良いと思っていますし、まず終わりなんてないと思います。今はモバイルアプリの設計に関する勉強会を主催していますが、コース途中になんとなくの理解で済ませていた部分を否が応でも理解しなければいけない機会にぶつかります。こういった時には、コース途中に培った検索力や質問力が役に立っています。これからもお互いを高めあうことができるPlayGroundの文化を一緒に作っていきたいです!
抽象的な話になってしまいましたが、少しでも学習の活力になれば嬉しい限りです。